別府八湯フォトアルバムシリーズ
亀川温泉<Kamegawa Spa>


(撮影・取材:平成23年3月〜10月/ITOデザイン事務所・伊藤輝和)


別府八湯・亀川温泉は別府市街地の北側、海岸沿いに位置し、JR日豊本線亀川駅付近一帯から、国道10号と旧国道を中心に発展した温泉地域。古くから泉量も豊富で、海浜沿いや山手には会社の保養所や別荘を見ることが出来る。
明治44年、鉄道交通の発展に伴い亀川・別府両駅が開設、その頃は別府の北の玄関として豊前小倉への交通の要衝として賑わいをみせ、亀川駅付近から旧国道沿いには旅館や商店街が形成されてきている。
旧国道沿いの商店街には、今も当時の繁栄をしのぶ重厚な造りの商家・民家を見る事が出来る。また、別府は戦災に会わなかったことと併せ、亀川地区は今も住宅地域整備が手つかずのため、商店街から住宅地に一歩入ると狭い路地が多く残り、この地域特有の町並みを形成している。
また、JR日豊本線の駅舎としては東別府駅と並び最も古かった亀川駅の木造の駅舎も2011年(平成23年)、東西にエレベーター付設の跨線通路が整備される等、待望のバリアフリー化の駅として整備され、駅前東口広場も今後整備される予定

亀川温泉は古くから豊富な温泉に恵まれ、江戸時代中期以降貝原益軒や伊能忠敬らが亀川について記した紀行文からも、南北交通の要所として重要な意味を持ち、温泉町として発展する可能があったことを知る事が出来る。
明治中期の資料には「町はずれの浜辺に新湯という温泉があって、滝湯、砂湯、蒸し湯も備わっている」と紹介されている。
現在も亀川温泉地域内には、新装なった市営新浜田温泉のほか、四の湯温泉、亀陽泉、亀川筋湯温泉などの共同浴場のほか、全国でも珍しい別府競輪場敷地内の競輪温泉などがある。
また、亀川温泉旧国道沿いの商家・民家の多くには内湯を有し、路地を歩いていると、「ジモセン」といわれる地元民専用の小さな湯屋や、民家の敷地内には昔からの源泉を見ることが出来る。
亀川温泉のシンボルとして是非見学したいのが浜田温泉資料館。
この資料館は、昭和40年代に増改築され2階を町内公民館として使用していた旧浜田温泉が老朽化のため、平成14年3月、向かいに新浜田温泉が新築されたのを機に、市民の保存運動もよそに翌年解体。その後、市内の篤志家から建築費の寄付があり、同17年7月旧部材を2割程使用し浴槽などはそのままに、建設当時の姿が復元され、浜田温泉資料館として蘇ったもの。昭和初期の別府の温泉文化を知る上での貴重な資料として、平成18年(2006年)8月に国の登録有形文化財になっている。詳細は別府の近代建築遺産浜田温泉資料館を参照のこと。
また、これら温泉施設や亀川の往時の町並みは、月に一度のウォーキングツアー「人情の街・亀川湯遊散歩」で巡る事が出来る。

亀川温泉のこの地域には、地名の亀に由来した伝説が今も残っている。
亀川地域の名前の由来として、『千年以上昔、近くの寒川で捕獲した白亀を当時の天皇に献上、吉祥の白亀であることから年号を嘉祥と改元された』との文献があり、亀の甲が転化して亀川となったともいわれ、現在亀の甲広場には白亀塚として石で造った甲羅が祀られ、広場内には亀の甲を模した六角形の池が造られている
また内竃にある八幡竃門神社は、亀山という山の上に社殿が建ち、境内には御神亀が祀られ、サッカーJ2の地元大分トリニータのマスコットキャラクターが亀(ニータン)であることから、サッカーフアンにも馴染みが深いようである。
その他には、西光寺の境内の一角にある経堂には、別府唯一の輪蔵があり、この輪蔵は八角形で、この中にお経をたくさん収めており、1回転させるとたくさんのお経を読んだのと同じ御利益があるとされ、別府市の文化財に指定されている。
また、国道10号とJR日豊本線に挟まれる様にひっそり佇む古社が、市姫神社。昔は、現在の国道10号(*)までが砂浜で、砂浜沿いにあるこの神社が写っている古い写真が残っている。
ちなみに、昭和16年にはこの海沿いの道路に大分新川・亀川まで電車が開通し、市民の足として親しまれ利用されてきたが、昭和47年運行廃止となっている。

亀川温泉地域の海岸線は、昭和59年亀川バイパスが開通、それに伴い海岸沿いの埋め立て地には、古市工業団地や公設地方卸売市場のほか、新亀川漁港や中央浄化センターが新設され、海沿いの景観はすっかり変貌を遂げ、昔の面影はなく、唯一旧亀川漁港が残るのみ。
この亀川バイパスを南に少し進んだ上人地区には、その昔
一遍上人が上陸したといわれる別府で唯一の自然海浜上人ヶ浜があり、周辺には保養所やホテル、別府市美術館がある。さらに美しい公園として整備されたその一角には、フランスの「ミシュランガイド」の実用旅行ガイドで2つ星の評価を受けた市営温泉「別府海浜砂湯」がある。
また少し山手に目を転じれば、障がい者が地域社会の一住民として普通に暮らし、働き、生活する施設「太陽の家」や、前身が大正時代開院の海軍病院だった「国立病院機構別府医療センター」のほか「別府溝部学園短大」などがあり、さらに少し山手に進むと別府地獄巡りコースにもなっている、竜巻地獄、血の池地獄がある。
*現在の国道10号は、以前は海岸道路(元国道3号線)と呼ばれ、昭和27年(1952年)に国道10号に改称。

亀川町は、江戸時代の豊国紀行に「里屋に温泉有り、塩湯なり里屋村を又亀川村という」と記されていて、海岸に豊富な温泉が湧出し天然砂湯は亀川温泉の名物であった。昭和10年亀川町、朝日村(元鉄輪村)・石垣村が別府市と合併。最下段の写真は上人が浜(資料写真:小野弘氏)


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