別府八湯フォトアルバムシリーズ
堀田温泉<Horita-Spa>


(撮影・取材:平成20年5月15日~7月29日/ITOデザイン事務所・伊藤輝和)


別府八湯・堀田温泉は、観海寺温泉のさらに西北方、鶴見山東麓と扇山南側一帯に広がる山麓の静かな温泉場。大分自動車道がこの地域をまたぐように沿って走り、別府八湯中別府インターチェンジに最も近いいわば別府の西の玄関口にあたる温泉場。

最近では新市営「堀田温泉」の完成と共に、やまなみハイウエイに接続する県道52号の拡幅工事も完成し、地域の雰囲気も一変して、新たな堀田温泉への取り組みへの兆しが見え始めている。


戦後以降、それまでは地元住民専用の小さな堀田東市営共同温泉があるのみで、ひっそりとした温泉場であったが、昭和後半になって、民間の手による自然景観を活かした露天風呂「夢幻の里」が整備され人気が出始め、ようやく堀田温泉の名が蘇り始めた。
ただ、鶴見山の麓に位置するため、湧出量も豊富な泉源に恵まれていたことから、浜脇温泉など他地域にある市・区営公共温泉に給湯する有力な泉源地帯として重要な役割を担っていた。

山裾に広がる緩傾斜地の田畑や、温泉熱利用による胡蝶ラン栽培の温室、溜池側の湯やぐらから立ち上る湯けむりが堀田温泉の象徴的風景だが、平成15年に建設された新市営「堀田温泉」は、清潔で充実した設備と安価な入浴料金で多くの入湯客を集めている。また、この温泉から徒歩3〜4分ほどの山手に民間の入浴施設「白糸の滝温泉」もあり、すぐ側の岩壁から流れ落ちる「白糸の滝」も見ることが出来る。


堀田温泉は(江戸中期この地域の堀田湯・観海寺湯・鳥の湯等を総称して広地域名の立石村の湯と呼ばれていた)、古くから由布院・日田・太宰府を結ぶ道に沿った交通の要所だったため、江戸時代中期以降から湯治場として繁栄し、旅人がこの地に立ち寄り、旅の疲れを癒したという。今も往時を偲ばせる旅籠に通じる切石の石畳が残る。

また、ここからから少し離れた現やまなみハイウエイの途中に旅人が名残を惜しんだと言われる「見返り坂」の名前も残っている。
さらにそれ以前は、堀田一帯は大友氏と深い関わりがあり、慶長五年(1600年)石垣原の合戦の際に、大友方の本陣としてこの地で大友義統(よしむね)が指揮を執ったとされるなど、大友氏ゆかりの史跡が残っている。


堀田温泉には、江戸時代からも旅館が二・三軒あり、明治中期には旅館十軒ほどがあったらしい。ただ農業片手間の旅籠営業で、戦後も旅館の近代化をさせるということがなかったためだんだんすたれ、戦後はまったく鳴りをひそめ、地元住民専用の東西市営温泉があるだけだった。

近年、民間露天風呂の「夢幻の里」や市営共同浴場の新「堀田温泉」の建設を契機に、地元住民らによる八湯ウォーク「堀田湯の里湯けむり散策」も実施され、徐々に復活の兆しが見え始めている。溜池「堀田の堤」は潅漑用の水がめとして作られたといわれている。写真下左:堀田温泉建設前 右:堀田温泉建設後 (古写真資料:小野弘氏)




COPYRIGHT(C) BY ITO DESIGN OFFICE & TERUKAZU ITO,All Rights Reserved. HOME  |  別府八湯まちなみ彩都  別府八湯フォトアルバムシリーズ<INDEX>