別府八湯フォトアルバムシリーズ
別府温泉<Beppu-Spa>


(撮影・取材:平成22年4月〜11月/ITOデザイン事務所・伊藤輝和)


○別府温泉の共同浴場建築
別府八湯・別府温泉は、別府市街地の中心部に位置する温泉場。江戸時代は街道沿いの街村にすぎなかったが、明治以降水陸交通の発達と、広い平地地形、豊富な温泉に恵まれて、急速な発展を遂げてきた。
海岸から山手に掛けて、多くの旅館ホテルが建ち、その中央部には商店街やスナック、バーなどの歓楽街も形成され、観光温泉都市の性格を濃くしている。高度経済成長に伴い、観光客が増加すると、楠、銀座両商店街に全国に先駆けアーケード街を建設、次いで弥生商店街の整備、北浜埋め立て地のホテル旅館の近代化が図られてきた。
現在もこの地域には、往時の温泉観光都市としての繁栄ぶりを偲ぶことの出来る多くの共同浴場や、文化財としての貴重な建物が残っている。
特に別府温泉のシンボルともいえる竹瓦温泉は、国の登録有形文化財であり、今も多くの観光客が訪れている。
また、別府は
戦災を受けなかったため、この地域は道路拡幅の機を失い、昔ながらの狭い道路や路地が今も残り、往時の温泉情緒に触れることが出来、この界隈を歩いて巡る「竹瓦界隈路地裏散歩」なるウォーキングツアーも催されている。


(註:浜脇、別府不老、別府紙屋の各温泉が県費で改築(明治5〜7年)竹瓦温泉が新設(明治12年)公設浴場を中心に旅館街が発達したとある。写真は以降建て替えられたもの)
(写真上左から:竹瓦温泉、不老泉、海門寺温泉、永石温泉、紙屋温泉、駅前高等温泉、北浜温泉テルマス、別府コミュニティーセンター内芝居の湯、上田の湯九日天温泉)

○別府温泉とウォーターフロント
別府八湯・別府温泉の特徴の一つは、波静かな別府湾に面した海岸沿いに建つ近代的な北浜ホテル旅館街の風景。この北浜海岸一帯は、人工海浜スパビーチや北浜ヨットハーバーなどが整備され、今も新たな整備が進められている。明治以降からもこの一体は、関西方面からの定期汽船就航のための別府港桟橋が築造され、いわば別府の海の玄関口として大いに賑わい、海岸沿いには温泉情緒漂う海浜砂湯もあり、別府温泉を象徴する風景でもあった。
しかしその後、北部石垣への別府国際観光港開設、九州横断道路の開通に伴う市勢の北方への移行もあり、別府港桟橋は廃止、海岸も埋め立てられ、その跡地には大型複合商業施設が出来る等、すっかり昔の風景とは趣も異なっている。(参考HP:別府港海岸線の詳細はこちら参照)

註:別府港築造完工(明治4年)以降大阪開商社の汽船定期就航始まる(明治6年)関西汽船観光港に移転(昭和42年)

○別府温泉の歴史的建築遺産
別府八湯・別府温泉の歴史は、荘園時代(13世紀後半)、朝見、石垣、竃門(亀川付近)が主要集落で、狭義の別府温泉の集落は石垣荘の付属地として平安末期ごろに開拓され成立したものとされているが、明確な文献はないよう。江戸時代貝原益軒の豊国紀行(1694)や、古河辰の西遊雑記(1783)に別府の温泉についての記述あるが、大部分が徳川幕府の天領であり、別府入湯は厳しく制限され、幕府当局の許可が必要とされていたとある。明治維新とともに種々の制限が撤廃され、温泉町としての性格を濃くして行ったようである。
明治の中頃には、別府、鉄輪、浜脇がほぼ同じようなにぎわい、これについで亀川、明礬、堀田、観海寺が肩を並べていたといわれ、明治22年温泉の人工穿掘の成功により、交通機関の発達と併せこの町の発展に大きな役割を果したとある。
その後、第1次大戦(大正3年/1914年頃)による好景気で、山手には別荘地開発の進展が見られる、加えて別府温泉の宣伝や観光遊覧施設の整備が進められている。
現在でも日豊本線より山手のこのエリアには、登録有形文化財の貴重な建物も残こされているが、時代の流れとともに、往時を物語る豪奢な別荘建築などが、次第に姿を消して行ったのが惜しまれる。その一方、コンベンションホールや大型複合商業施設等新たな施設も建設され、別府観光の一翼を担っている。

(写真上左より:ビーコンプラザとグローバルタワー別府市中央公民館聴潮閣高橋記念館京都大学院附属地球熱学研究施設ビーコンプラザとグローバルタワー、 野口病院管理棟別府市児童館、竹瓦小路、YOUMEタウン) 参考HP→別府の近代化建築遺産

○別府温泉の公園と路地裏文化
別府八湯・別府温泉のこの地域は、江戸時代は街道沿いの街村にすぎず別府村と呼ばれていたが、明治26年別府村から別府町へと変わり、明治39年別府町・浜脇町が合併して別府町となり、大正期には海岸埋め立て地に新しい旅館街も誕生。大正13年には別府町から別府市となり市制が施行され、浜脇温泉と合わせ別府温泉として温泉観光都市への発展が図られている。
大正3年に松原公園新設、昭和初期には、松原公園周辺に映画館や飲食店が出来、別府の浅草といわれるほど賑わいを見せたといわれている。大正6年には海門寺公園も新設されている。
現在この地域には、美しく整備された公園がたくさんあり市民の憩いの場となっている。市の中心部にある「別府公園」は、昭和天皇御在位50周年の記念公園として整備されたもの。「的ケ浜公園」は、海岸を埋め立て、人工海浜を有する海辺の公園。先駆け的公園の「松原公園」「海門寺公園」も現在は新しく生まれ変わっている。
別府駅を中心に懐かしさと新しさが混在するこの地域には、路地裏文化なるものが醸し出す独特の雰囲気があり、外国人向け民宿や、「流し」を先導に「夜の路地裏散歩」などが催されている。
参考HP→別府市の公園 別府八湯ウォーキングツアー
(写真上左から:別府公園松原公園的ケ浜公園北浜公園海門寺公園、別府駅、路地裏の外国人向け民宿、別府温泉地域の昔の施設等趾の説明碑、夜の路地裏散歩)

○別府温泉の街並と商店街
昭和10年、別府温泉を中心とする別府市が、亀川町、朝日石垣両村と合併、大別府市として温泉観光都市への発展を図ることとなるが、近年国際観光港開設や九州横断道路の開通など市勢の北方への移行が行われて来たとはいえ、観光・商業等の経済活動の中心は、現在でも別府温泉のこの地域にある。
地域の南北を国道10号が通り、海側から山手への東西には昔のメインストリートの流川、拡幅なった秋葉通り、別府駅に面した駅前通りが伸びる。
駅前通りと流川を南北に結ぶ商店街が、ソルパセオ銀座商店街とやよい商店街。周辺には、北浜通りや新宮通りにスナックやバーなど歓楽街が形成されている。昔は他にも、中浜筋や楠銀天街が賑わいを見せていたが、今はその面影も無いのが淋しい限り。別府八湯中、北浜の高層のホテル旅館街や、トキハ別府店、YOUMEタウン別府店などの大型商業施設が立ち並ぶ風景は、唯一別府温泉だけの特徴ともいえる。

(参考:明治33年別府大分間に電車開通、昭和47年廃止)
(写真上左から:グローバルタワーから見た別府公園と別府温泉エリア、国道10号大分方面、国道10号宇佐方面、流川、北浜漁港から見た秋葉通り、国道10号側から見た駅前通り、別府駅側から見た駅前通り、ソルパセオ銀座商店街、やよい商店街)

古い写真資料は、別府温泉が温泉観光都市として賑わいを見せる様になった、大体明治末期から昭和初期に掛けてのもの。商店街の写真は戦後以降で、別府観光を担う土産品店が軒を連ね、多くの観光客が浴衣姿で商店街をそぞろ歩く光景は、まさに観光全盛期の象徴ともいえるもの。(資料写真:小野弘氏)
*このページの説明は別府市誌(昭和42年発行)、別府歴史年表(昭和60年修正増補/編著者安部巌)を参考、一部引用しました。




COPYRIGHT(C) BY ITO DESIGN OFFICE & TERUKAZU ITO,All Rights Reserved. HOME  |  別府八湯まちなみ彩都  別府八湯フォトアルバムシリーズ<INDEX>